どうも、太陽です。(No152)
突然ですが、「人生とは闘い?」という言葉にビクっとした人もいるかもしれません。
皆さんは「人生とは闘いだ」と考えたことはありますか?
「競争だ」ぐらいは思ったことはあるでしょう。
闘いも競争も似ていますが、僕は闘いに絞って今回の記事を書きました。
闘いの種類もいろいろあり、組織の闘い(外部と内部)と人生の闘い(自分と敵)で分けて、それぞれ論じています。
「人生とは闘い」ということを理解しておくと、視野が広がるでしょう。
興味ある方はぜひ読んでみてください。
1 闘いとは何か?についての概略
いきなりですが、「人生とは闘いだ」と最近、僕は常々感じています。
それは組織においては「直接の外の敵と、内部の敵(造反者など)」がいるということでもあります。
で、自身の人生においては「自分との闘い、他人との闘い」という表現になります。
組織については「僕の君主論」という記事で書いています。
(非公開)
2 自分との闘いと他人との闘いについて
今回は「人生における自分との闘いと、他人との闘い」を書いていきます。
人生は自分に負けないように、自分に勝つために闘うことは大事です。
直接的な他人やライバルもいますが、まずは自分に負けないことも大事なのです。
「自分に勝つ」ということは、「日々、毎日、自分に厳しいノルマや訓練を課す」ということでもあります。
それは、本番の試験や試合に向けてでしょうが、「毎日が本番」というくらいの気持ちが必要でしょう。
「毎日が本番」であり、試験や試合は「本番の毎日の成果が普通に発揮されたか?」というだけのことなのです。
毎日を本番と見なさず、「練習という軽い気持ち」でやっていたら、実際の本番の時はそれほどの結果は出ないのではないでしょうか?
あくまで、実際の本番は「毎日を本番」と見なした訓練の結果がでるおまけと捉えるべきなのです。
本番の毎日を過ごさないと、実際の本番(おまけ)では結果は出にくいでしょう。
次に、他人は自分には基本的にどうしようもありません。
もちろん、「スパイ工作などで相手の情報を盗んだり、蹴落とすこと」はある程度は可能です。
また、野球やテニスや将棋やボクシングなどの勝負ごとであれば、他人との直接対決なので「相手の弱点を研究し、攻める」ということもある程度は可能でしょう。
フィギュアスケートや体操などになると、「自分がいかにミスをしないで高得点のプレーをするか?」という自分との闘いがほとんどを占めますね。
受験勉強もそうです。
自分がいかに実力をつけて、試験に臨むかがほとんどです。
他人の実力を妨害することは難しいのです。
人生とは闘いであり、自分との闘いと他人との闘いの2種類があることは分かってもらえたでしょうか?
他人との闘いもそれなりに厄介です。
他人や敵とは、自分の味方以外を指します。
「自分の味方においては全面的に信頼するべき」と簡単に言えればいいのでしょうが、そうも言えないのが厄介な点です。
この意味を具体的に見ていきましょう。
例えば、WBCの野球では日本チームになるので、日本人は全員味方でしょう。
しかし、その味方の同期に、個々の野球の技能や秘密のプレーやノウハウを漏らしたら、WBCの間では成果を出しやすくなりますが再び、ペナントレースに戻ったら敵になりますよね?
その際に、その情報がネックになる可能性があるのです。
それも仕方ないと言えば仕方ないのですけどね。
野球界の発展のためという大きなくくりで見たら、情報共有をした方がいいでしょう。
野球界が発展すれば選手の給料も全体的にアップするかもしれませんしね。
この辺の話はリアルな現実になったようです。
筒香選手はWBCのときに味方だった他球団のコーチから徹底的に弱点を研究され、それが「今の筒香選手の不振につながっている」という話です。
また、味方と思っていた社内の人に自分の情報を包み隠さず話していたら、その人は他社に転職し、後で敵になる可能性すらあります。
「味方が敵に」という局面は意外とあるのです。
他人との闘いはかなり厄介な問題です。
自分との闘いは自分でほとんどをコントロールできます。
他人の指導やマネジメントは他人次第な面がかなりあり、難しいのです。
ところで、できる人は部下を育てるよりも「自分でやった方が早い」と思いがちです。
自分でコントロールできる部分が多いからです。
しかし、世の中には「自分との闘い」にすら勝てない人が大半を占めます。
自分の限界近いところまで、毎日、追い込んで、鍛えている人がどれくらいいるでしょうか?
ほとんどいないのではないでしょうか?
そうであるならば、他人との闘い以前に、「自分との闘い」で既に負けており、「勝負の土俵にすら立っていない」ということになります。
正直、自分との闘いと他人が絡む闘いとの対比では他人との闘いの方が厳しいと思います。
自分との闘いは自分でコントロール可能であり、自分の限界は自分でよく分かっていることが多いでしょう。
ですが、他人との闘いは自分がいくら限界までやっても勝てない場合があるのです。
他人との闘いは正直、「人生で一番厳しい世界だ」と思います。
特に、上を目指せば目指すほど過酷さは増していきます。
将棋やボクシングやテニスなどの他人との闘いの競技は厳しい世界なのです。
テニスの錦織選手はおそらく自身は限界までやっています。
自分との闘いにもほとんど負けていないでしょう。
それでも最高で世界5位なのです。
他人、ライバルが強いので、自身の限界までやっても勝てないのでしょう。
自分との闘いの競技であるフィギュアスケート、体操、受験勉強などは他人との闘いほどは厳しくないと僕は考えます。
(もちろん大変な世界なのは承知ですが、「他人との闘いに比べたら」という意味です)
★「自分との闘い」にまず負けないことが大事ですが、それ以上に過酷なのが「他人のとの闘い」という指摘でした。
3 いろいろなジャンルの自分との闘いや他人との闘い
ここで、いろいろなジャンルの「自分との闘いや他人との闘いの事例」などを見ていきます。
補助金業務は自分との闘いの事例です。
僕の元知り合いの行政書士が補助金業務をやっており、通過率は7割とのことです。
補助金にはざっくり以下の種類があります。
1 | 事業再構築補助金 (1000万以上〜1億) | 大学受験偏差値レベルでいえば早慶。 応募者は2万人ほど。 採択率は通常枠は3割〜4割、卒業枠は4割〜5割ほど。 |
2 | ものづくり補助金 (1000万〜2000万) | 大学受験偏差値レベルでいえばMARCH。 応募者は5000人ほど。 採択率は45〜50%。 |
3 | 事業承継・引継ぎ補助金 (400万くらい) | 大学受験偏差値レベルでいえば成成明学。 (成蹊大学、成城大学、明治学院大学を指す) 応募者は1000人ほど。 採択率は5割程度。 |
4 | 小規模事業者持続化補助金 (200万くらい) | 大学受験偏差値レベルでいえば日東駒専。 応募者は約9000人ほど。 採択率は約7割。 |
5 | IT導入補助金(30万〜450万) | 大学受験偏差値レベルでいえば大東亜帝国。 応募者は約1700人ほど。 採択率は約8割。 |
資格試験でも合格率4割〜5割なら、簡単に感じるかもしれませんが、受験者の質が違うのです。
司法試験でも合格率が4割を超えましたが、頭が非常に良い集団の中での4割です。
高卒認定試験でも4割ですが、頭があまり良くない集団での4割です。
補助金では難易度(集団の質)をわかりやすくするため、大学受験の私大の偏差値で例えました。
補助金の報酬は着手金が5万〜10万、成果報酬(補助金が通過)は1割程度が相場です。
ですので、仮に1000万レベルの補助金を通したら、105万〜110万がもらえるのです。
補助金業務は、受験と似ており、闘いの相手は同じ士業と思われがちです。
ですが、採点者の中小企業診断士数人に認められれば通るのです。
(受験もライバルは受験生ではなく、試験問題なのです)
つまり、他人との直接対決ではなく、自分との闘いです。
もちろん、ライバルが強ければ自分が不利になり、落とされてしまうかもしれませんが、敵?は採点者です。
それに対して、僕が趣味でやっているテニスや将棋では相手との直接対決であり、僕がいくらベストプレーをしても、相手がそれを上回ってきたら勝てません。
他人との闘いである、直接対決の勝負事で飯を食べている人は勝負師であり、かなり厳しい世界で戦っていると心底思います。
僕には真似できません。
営業マン(証券会社、不動産、保険、住宅など多数)の世界は、ノルマ・成果主義であり、契約件数、つまり「数字こそすべて」であり、一見、会社のライバルと数字を競っていそうです。
ですが、実は「顧客にいかに気に入られるか?」の勝負であり、自分との闘いなのです。
(また、顧客をどんどん開拓していけますし、会社のライバルが契約件数を上げても自分が下がるパイの奪い合いはそこまでありません)
このように、「自分との闘いか、他人との闘い」どちらが自分に向いているか見極めた上で、進路を選ぶべきだと思います。
他人との闘いの世界は勝負師なので、向き不向きがかなりあります。
4 人生とは闘いであるという言葉に疲れている人へ
「人生とは闘いである」
この言葉に疲れている人もいるかもしれません。
気が休めませんからね。
人生は闘いですから、休息が必要になります。
休息をきちんと取り、休まないと、闘う体力・精神が培われません。
「え、人生って、そんなに敵だらけなの?そんなに油断したり、気を許しちゃいけないの?」と思った貴方!
上を目指す人の世界においては、特に「人生とは闘いである」が当てはまると言いたいです。
芸能界、政界、スポーツ界、ビジネス界などです。
普通の平凡な人生を歩むのならば、「人生とはほどほどの闘いである」と表現が緩やかになるでしょう。
上を目指す人はスキャンダルなどで一気に蹴落とされます。
2016年12月には、俳優の成宮寛貴氏が引退宣言をしました。
「友達に裏切られた」とのことです。
油断も隙もあったものじゃありませんよね。
だから、上記に挙げた世界の人達は「人生とは闘いである」を身に染みて感じているかもしれません。
5 まとめ
最後に、まとめをします。
1 闘いとは、組織においては「直接の外の敵と、内部の敵(造反者など)」がいるということで、自身の人生においては「自分との闘い、他人との闘い」という意味です。
2 人生において、「自分との闘い」が大事であり、まずは自分に負けないこと、そして、実際の本番は毎日を本番と見なした訓練の結果がでるおまけと捉えるべきである。
3 「他人との闘い」においては、他人は基本的に操作できず、「味方が敵に」の展開もあるので、他人との絡みは難しい。
4 自分との闘いと他人が絡む闘いとの対比では他人との闘いの方が厳しく、過酷である。
5 「人生とは闘いである」は特に、芸能界、政界、スポーツ界、ビジネス界に当てはまり、普通の平凡な人生を歩むのならば「人生とはほどほどの闘いである」とやや緩い表現になる。
ではこの辺で。(4633文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。