どうも、太陽です。(No71)
突然ですが、今回は「本物とは何か?」というタイトルで話していきます。
本物と聞いて、皆さんはどんなイメージを描きますか?
真の実力者ですか?野球のイチロー選手などでしょうか?
「陰の実力者になりたくて」という漫画もあるようです。
陰の実力者と本物は違うのでしょうか?
この話題について興味がある人は続きをお読み下さい。
1 完全実力主義世界とコネ社会。
突然ですが、完全実力の世界では年齢など関係ありません。
なのに、「年配だから。年上だぞ」と説教する老人がいますが、訳がわかりません。
「ただ年数を重ねただけの人」に、「若いうちから才能があって開花した人」が完全実力世界で、「小言を言われたくないでしょう」という話です。
完全実力世界は、遺伝や才能部分が大きく、実は不平等です。
ですが、結果は明白であり、実力がモノを言う世界であり、年齢も性別も人種も関係ないという意味では平等です。
完全実力世界と違う世界を「コネ社会」と言います。
「レジェンドや有力者に気に入られること」や、「年齢(年功序列など)」や「性別(女性差別がある)」や「人種差別」もある世界です。
2 コネ社会の典型例が芸能界&本物以外いない世界もある。
「コネ社会」の典型例が芸能界です。
(TV局もそう)
あの世界は完全実力世界ではありません。
だから、そこまで実力がないじいさんがでかい顔をできるのです。
コネ社会じゃない、完全実力世界は厳しいですが、ある意味、平等なので(遺伝や才能以外)、実力ある若者はそういう世界に飛び込むべきでしょう。
完全実力世界じゃないから、TV局では本物じゃなくても、起用されるのです。
将棋界やスポーツ界は実力が全てですから、本物以外、生き残っていないです。
あの世界は本物以外いません。
スポーツ世界や将棋界で「本物を映したい、出したい」なんて言うでしょうか?
本物しか生き残っていないですから、必要ない言葉です。
いかに、TV局や芸能界が、「本物以外のコネで生きている人が多いかを示している」と言えます。
3 「響 小説家になる方法」の8巻の簡単なレビュー。
ここで話題を転換させますが、ついてきてください。
まず、以下の漫画「響 小説家になる方法」の8巻の簡単なレビューを書きます。
「響 小説家になる方法」 の8巻。
天才小説家、響は史上最年少で直木賞、芥川賞をダブル受賞し、TV局から目をかけられ、響の承諾を得ないまま、日常生活を撮影されていました。
そして、響は撮影に気づいており、罠を仕掛け、その罠に、TV局のプロデューサーも乗り、プロデューサーはその際に、響に「撮影している」と伝え、ある日時の日に、「TV局に来い!」と言いました。
響は「この企画をぶち壊す!」と言っています。
響はTV局の番組撮影に来て、この企画をどうやってぶち壊すのでしょうか?という話です。以上、ここまで。
4 僕のこの漫画への考察。
僕が感銘を受けたのは、TV局プロデューサーの言葉です。
本物(の天才)はTVに映り、国民に知らしめるべきであり、義務だという思想をプロデューサーは持っており、だからこそ、響の撮影許可を得ないまま撮っていたのです。
この本物(の天才)というのは、意外とTVに出ていない場合があると思います。
TV嫌いの本物の天才もいるからでしょう。
そして、TV受けする、そこまで本物の天才じゃない人を持ち上げることも、「TV局はしている」と思います。
TV受けするかしないかが、存在するのです。
主に、外見がTV受けするかしないかを左右しますけどね。
しかし、本物を見ると人は感化されます。
本物はやはり、普通とは違いますし、リアルに観察できれば、かなり参考になるはずです。
まとめると、TV局のプロデューサーが、「小説家の響は本物なのだから、TVに隠し撮りされてでも映るべき」という話です。
響とは「響 小説家になる方法」の漫画の主人公です。
14歳で芥川賞、直木賞をダブル受賞した天才少女という設定です。
これは逆説的に言えば、小説界は本物が少ない、つまり、コネ社会と言えそうです。
または、ゴーストライターや複数人で執筆や、編集者らの協力などやパクリなどで、表面上の売れっ子作家1人の実力(本物)とは違うというわけです。
「ホンマでっかTV」で言われていましたが、「ある大物作家にもゴーストライターがいる」という話です。
つまり本物(自分で書いていない。売れているから、有名作家の看板で出した方がいいという意味)じゃないのです。
スポーツや将棋界は、本物以外いません。
なぜなら、コネ社会のTV局や芸能界と違い、完全実力社会だからです。
だからこそ、わざわざ「本物を映すべき」なんて主張は出てきません。
それにしても、TV局はやメディアらに「本物が必ず出るわけではない」と感じます。
中には、本物の天才でも、TVに出たくない人もいるからです。
特に、小説界なんて、いつ潰れるかもわからないので、話題性のある芸能人などに賞を受賞させて、売り出す出版社は多そうです。
これは実力以外の要素(コネや知名度など)を使っているわけであり、本物ではないのです。
5 本物の定義1
僕の本物の定義は「完全実力社会であると仮定して、その中で上位にいる人」としています。
「仮定して」と書いたのは、TV局や芸能界や音楽界や小説界は完全実力社会じゃなく、コネ社会だからです。
逆に言えば、スポーツや将棋などの世界では本物しかいないので、わざわざ本物と定義する必要がありません。
上位にいる人はそのまま本物の実力者ですから(とはいえ、テニス界でも騒がれたように、八百長はあります)、わざわざ本物だと言う必要がないのです。
だからこそ、本物という言葉は、TV局や芸能界や音楽界や小説界などの、コネ社会で使われます。
6 本物の定義2
そして、「本物の上位にいる人という定義」をさらに深堀りして見てみると、「その人だけで基本的に何かもやっていて、上位にいる人」と言えます。
僕の場合、このブログは全部自分1人で書いているわけですから、ゴーストライターなど存在しません。
しかし、「出版界の売れっ子は全部自分1人でやっていない」と思われます。
ゴーストライターがいたり、編集者が入れ知恵したりしているのです。
誰かの助けを大いに借りているのです。
これも本物かそうでないかの、明確な分岐点かもしれません。
本物はその人がほぼ1人で、結果を出せるほどの実力を持っている人なのです。
本物という言葉の深い意味が見えてきたのではないでしょうか?
簡単に言えば、本物じゃない人は装飾が施されており、何か虚飾性があるということです。
「誰かの力をかなり借りていたり、見せかけている」というわけです。
逆に、本物は完全に「そのままで実力があり、人の力もあまり借りなくても、実力を発揮し、本来の姿のままで勝負ができる割合が非常に高い」ということでもあります。
もちろん、小説家であれば、編集者と打ち合わせ(ある程度の話し合いにより、ネタを考える)や出版社での宣伝などは、外部に任せるのは仕方ない面もあります。
ですが、ゴーストライターがいて、全部自分が書いていなかったり(ホリエモンの本は、執筆はゴーストライターです。コンテンツはホリエモンです)、アイデアの肝の部分を外注していたら、もはや、小説家としての体を成していないでしょう。
さて、TV局では「やらせ」が横行している事実があります。
芸能人でいえば、偉大な芸能人というイメージを作るために、クイズ番組などでもやらせをし、上位にいかせるのです。
やらせが存在せず、完全実力勝負の場合において、負ける人は本物ではありません。
(逆に言えばやらせがないと勝てないのです)
「響 小説家になる方法」という漫画は、いろいろと論点を作り出していましたね。
7 陰の実力者と本物の違いについて。
最後に、陰の実力者と本物の違いを述べます。
陰の実力者はいわゆるフィクサーみたいな存在です。
週刊現代(2019年1月)の記事では以下のように書かれていました。
そもそもフィクサーとは何か?
私は次の4条件を満たしている社会的影響力を持つ「陰の人物」と定義しています。
・ | 第一に、類い稀な調整能力を持っている。 |
・ | 第二に、低学歴などの理由で、組織に入れない。 |
・ | 第三に、暴力や脅威を匂わせる凄みがある。 |
・ | 第四に、動きがすべて金銭化することです。 |
以上、ここまで。
これがフィクサーであり、陰の実力者だと思われます。
本物は表に出る完全実力世界の人達(将棋やスポーツ選手など)もいますし、表に出ない、TV嫌いの本物もいます。
本物とは違って、フィクサーは基本的に表に出ません。
表に出ないまま、権力や影響力があるのですから、なかなか良い立ち位置です。
(ただし、「金や実益をちゃんと得ていれば」ですがね)
本物というか、天才について考察したい方は以下の本をお勧めします。
「やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける」
ではこの辺で。(3768文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
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