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実践と理論!「だったらお前がやれ!」という話

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どうも、太陽です。(No95)

 

突然ですが、タイトルの「実践と理論!「だったらお前がやれ!」の意味を簡単に言うと、「プレイヤー批判はさむい」という主張をしています。

その主張を具体的にわかりやすく、深堀りしたのが今回の記事です。

興味がある人は続きをお読みください。 

目次

1 だったらお前がやれ!by永江氏

「だったらお前がやれ!」という話について。

 

https://www.landerblue.co.jp/blog/?p=26617

SNSで使うとそこで話が終わる魔法の言葉・・「だったらお前がやれ」という記事を永江一石氏が書いています。

 

簡単に要約します。

永江氏が「ある法律がおかしい!」と言ったら、別の誰かが「だったら、あなたが国会議員になって法改正しろ」と言ってきたそうなのです。

この論理に則ると、消費増税に反対する6割の国民(日経調査)はソーシャルで、「増税反対」と言うだけで、皆、国会議員に立候補しなければならなくなります。

「増税反対」という声は「ある法律がおかしい」と同じニュアンスだからです。

 

永江氏は「お前が立候補しろ」という方には、「だったら、お前が選挙資金と選挙事務所を全て用意して、必ず当選させてくれるなら出てやるよ」と言うことにしているそうです。 

その他の件では、永江氏は「福島県を安全な場所だ」と主張しているのですが、「そんなに安全だったら、お前が福島に住め!」と言われた話があります。

永江氏は福島の放射能が怖いわけではなく、他の地域に住むことの方が好きだから、そうしているというわけです。

上記のコメントには、「わかった。福島に住んでやるから、いまの収入と家と引っ越し代を保証しろ」と言うことにしているそうです。 

ここまでが要約です。 

2 僕の見解

僕の事例で言うと、「教育改革の本を書いたなら、おまえが国会議員になって法改正しろ」ということになるでしょうか。 

何かしらの意見や主張をすると(本や論文でもいい)、「そんな本などで言っていても、世の中変わらないのだから、実際に国会議員になって実行した方がいい」という論理と言えるでしょう。

しかし、こういう「著作物はある意味、評論」とも言えるわけです。

 

また、評論が力を持つケースもあります。

政治家が言論人の意見を取り入れることは、たまにあります。 

加えて、政治家や国会議員になるということは、かなりの険しい道のりなのです。

資金力、知名度などが必要です。

僕のように不健康な人(自律神経)は、健康上の理由から実行に移せないかもしれません。

ですが、健康な人なら永江さん式に「だったら、お前が選挙資金と選挙事務所を全て用意して、必ず当選させてくれるなら出てやるよ」と言えるかもしれません。

表現の自由もありますし別に主張は自由なのではないでしょうか。

 

ただし、「他者の権利を侵害しない上での表現の自由」であり、なおかつ、表現の信憑性が疑われると、その人の信用度は落ちます。

他者の権利を侵害しない限り、何を言おうと自由ですが、そこには信用が係わってくるわけです。 

有名人なら、信用を担保に発言しているわけです。

何度も間違い続けたら、信用を失い、最悪はファン離れ、顧客離れが起きるだけです。

だから、「だったらおまえが~しろ」という意見に耳を貸す必要はないでしょう。

 

その絡んでくる人は匿名で、信用も担保にしていません。

対して、有名人は信用を担保に発言しているわけです。

賭けているモノが違うのです。

もちろん、プレイヤーになれたら最高ですし、プレイヤーよりは評論家は格が下がります。 

3 プレイヤー批判は格好悪い

プレイヤー批判は、あまりカッコいいことではありません。

プレイヤー批判をすると、「だったら、おまえがプレイヤーになれ」と言われるかもしれません。 

橋下元市長もよく言ってました。「評論家とは立場が違う」と。

「言うだけの人と、実行者の責任度は違う」と。

 

そういう意味で、評論家がプレイヤー批判をすると、「じゃ、あなたの意見を取り入れますが責任を負えますか?金銭も賭けますか?」と逆に言われるかもしれません。

そこで評論家が、「責任も負いますし、金銭も賭けます」と言えばカッコいいです。

そして実際に、責任も金銭も負う契約もします。 

ですが、「僕の意見を取り入れるかは、プレイヤー様の自由です」となったらカッコ悪いですね。

プレイヤー批判をする人を、僕はあまり好みません。

 

あくまで、「僕の主張の精度は高いので、取り入れると成功確率が高いですよ」と言うに留める人が評論家や本の著者の場合、良い態度だと思います。

その人の言うことの精度が高ければ、プレイヤーも勝手に採用するからです。

それが影響力というものです。

 

プレイヤー批判というより、プレイヤーへの提案や意見を精度高く発信していれば、それはおのずと影響力が上がり、採用されるか目をつけられます。

彼の言うことが、ことごとく当たるわけですから。

プレイヤー批判なんて寒いことをしていないで、精度高い主張をすることに専念した方がいいのではないでしょうか。 

4 現在の主張。

現在、「プレイヤー批判は格好悪い」とは基本的には思っていますが、同時に、高給をもらっているプロなのだから「高給それ相応の仕事はしろ」とは思ってます。

高給なのに、それ相応の成果を出せなければ正直、「給料泥棒」ということを言いたくなりました。 

で、高給じゃないスーパーのバイトレベルの仕事(時給1000円くらいまで)なら、「そこまでの文句は言うべきじゃない」と思うのです。

それこそ、安いバイトにいちいち文句を言ったり、「強いクレームを言うのは格好悪い」と思います。

 

高級の政治家や経営者には逆に「それなりの文句を言ってもいいのではないか?」と思い直したのです。

そして、批判されたくなかったら、「ボランティア無給格安でやればいい」ということになります。 

ボランティア格安(責任や仕事の難易度の割に格安という意味)でやっている人に、文句を言う人の神経のほうがおかしいですかね。

(「だったらやらない」と言われるだけですから。でも、世の中、ボランティアで無償でやってくれている人にまで、文句を言う人がいるようですね)

「高給をもらっているプロ(政治家、経営者、芸能人など)は、それなりの批判は仕方ない」と言えます。

考え方を多少、変えました。

 

加えて、橋下徹氏の「やってから言え!」論や「実践者が偉い!外野は批判ばかり」論は、実はダサいかもしれません。 

例えば、元大リーガーのイチロー選手が仮に批判されて、「プロ野球選手になってから言え!」「イチローと同じ成績を出してから言え!」と言ったら、皆さんはどう思いますか?

ですが、2019年にダルビッシュ選手が以下の誹謗中傷に対し、面白い返しをしていました。

 

「億もらってから言え」は、億を稼ぐことなら、根性出せばなれる人がいるからこそ、「成り立つ話だ」と言えます。

なぜか、このダルビッシュ選手の返しだと、妙に説得力があるのはなぜなのでしょうか?w

同じ高給をもらっている政治家・経営者・芸能人が「億をもらってから言え」と発言したら、批判されそうな気がします。

スポーツという努力の跡が見える世界だからこそ、「説得力がある」と思います。

 

話を戻します。

政治家も同じで、プロや特権階級なのだとしたら、「エリート?としての挟持(プライド)を持つべきだ」と思うのです。

外野の批判に対しては、まともな指摘についてはちゃんと反論すればいいのです。

(イチャモンはスルーですね)

ある意味、ダルビッシュ選手の件は、誹謗中傷の人だとわかりやすかったですし、イチャモンな上に、スポーツ選手という立場上から、「億をもらってから言え」の納得感があったのかもしれません。

 

さて、最初は橋下元市長と同意見で「プレイヤー批判はさむい」「評論家は口ばかりで批判」「やってから言え!」と思っていたのですが、今は考えを変えました。

高給をもらっていて、エリート?なのですから、ある程度の批判は仕方ありません。

(まともな指摘のみに対応すればいいだけです)

 

ではこの辺で。(3036文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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この記事を書いた人

大量の情報を咀嚼して、独自の視点からの考察・分析・エッセイ記事などを書いています。

質で勝負するブログのため、敢えて正体を明かしていません。

ブロガー歴10年以上。多数のブログ運営経験あり。

得意分野。経済、ビジネス、教育、心理学、執筆、アイデア発想など。

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