どうも、太陽です。(No147)
本当の幸福って何なんだろう?
突然ですが、以下の記事で、「年収100万で幸せになる方法」を書きました。
本当の幸福について、参考になります。
年収100万で幸せになる方法
記事では、答えは「そんなものはない」と書きましたが(笑)、幸福の条件として、「健康・人間関係・金銭面」を挙げました。
特に金銭面については、以下の話をしました。
年収800万まで稼げばマイナス面が大幅に減り、幸福としてはMAXになります。
そこからは1000万ぐらいで少し下降し、1200万からはまたプラス方向が増えるので、緩やかに幸福度が上がっていきます。
「年収100万の人達はどういう人達か?」も想定しました。
また、そもそも「幸福を考えられるだけでも幸せだ」とも言えます。
なぜなら、年収150万の生活保護同等のブラック企業で働く人達は幸福を考える時間さえないからです。
年収100万で幸せになる方法はないですが、一つの考えられる手段として精神を鍛えることを挙げました。
(具体的な方法は記事を読んでください)
結局、本当の幸福は何なの?
今回の記事で、もっと幸福について突っ込んだ内容を書いています。
つまり「本当の幸福とは何か?」です。
さらに「幸福観による日本の理想の国家像」についても書いています。
「年収100万で幸せになる方法はなかった」と伝えたかったですし、「幸福について考えるきっかけ」として提供しました。
本当の幸福について知りたい方は続きをどうぞ。
1 本当の幸福とは何か?幸福を感じる瞬間
まず、僕たちが幸福を感じる瞬間として「以下がある」と思われます。
1 | 3大欲求を満たしたとき。 (食欲、睡眠欲、性欲) |
2 | 知的欲求を満たしたとき。 |
3 | 落差から幸福を感じる。 |
4 | プラスを増やしたとき。 |
5 | マイナスを減らしたとき。 (安心感など) |
6 | ペットや美女やイケメンや子供と絡んだとき。 |
7 | 誰かの役に立ったとき。 (いい人限定。HSPも該当) |
具体的に見ていきましょう。
3大欲求はわかりやすいね。
ただ、3大欲求は満足度は高いものの、その場限りだ。
すぐに消えてなくなり、思い出としても残りにくい点がネックだね。
(常に、消費し続けないといけない)
知的欲求を満たしたときも、知識人やIQが高い人や好奇心が強い人は幸せを感じます。
マイルドヤンキーみたいに「仲間とつるんでいれば幸せ」という人達だと、知識欲がそもそも少ないので、読書や将棋やディベートなどで幸せを感じることは少ないかね。
知的欲求の幸せの良い点は、振り返り、思い出して何回も楽しめる点です。
「落差から幸福を感じる」って何?
落差から幸福を感じるとは、以下のことを言います。
例えば「断食をして、苦しい思いをする、つまりマイナスにして、そこから何かを食べる、つまりプラスにすると、より一層幸福を感じる」ということです。
「サウナで熱くて苦しんだあとに、冷たい水を浴びる」とかか。
運動も該当するな。
極端な話、マラソンランナーの究極の快感、ランナーズハイもあるね。
ある人は、包丁を持ち出すような彼女と交際していました。
そして、恐怖を植え付けられても、その後に優しさを見せられて、その落差に幸福を感じたと言っていました。
(DVで離れられない女性のようです)
ギャンブルも当てはまり、ジェットコースターのような人生を歩むことに幸せを感じるタイプかぁ。
「プラスを増やしたとき」とは、以下を指します。
「何か楽しいことをしたり、金銭を得たり、認められたり、とにかくプラス方向に向かったときに幸福を感じる」ことです。
「大金を得た」や、「名声を得た」や、「親しい友達と遊んだ」なども含まれます。
「マイナスを減らす」とは、以下のことを指します。
苦痛なことを減らす、例えば満員電車を避けてリモートワークや、貯金による安心感や、嫌いな人となるべく合わずに好きな人とだけ付き合うや、苦手なことを避けて安定・安心を得る、ことです。
僕は、以下の記事でも書きましたが、外向型は覚醒レベルが普段から低いので刺激を求めます。
逆の内向型は覚醒レベルが普段から高いので、刺激を避ける傾向にあります。
(ほとんど人は中間の両向型に分類され、普段から覚醒レベルが高くもなく、低くもない最適レベルです)
また、幸福の容量(キャパシティ)も人によって差があります。
小さい人はすぐに満足し、埋まりますが、大きい人はなかなか満足せず、いつまでも追い求めます。
要は「欲深くないか、欲深いか」とも言い換えられます。
ということは、欲深くない人は、出世や美女や大金などを求めず、もっと小さなことで満足し、平穏に暮らすのか。
対して、欲深い人は、地位や名声や美女や大金を求め、貪欲に追い求め続けるってことかね。
欲深くない人の方が幸福感は感じやすいです。
(美食でしか満足できない人は金がかかります。普通の食事で満足できる人は金もかかりません)
ところで、SNSは比較ツールです。
自分を超える他人がかなり表示されるので、真似したり、追い求めようとすると、理想がどんどん上がり、なかなか満足できなくなり、不幸になります。
加えて、僕らは幼少期から、受験・就活・婚活・出世・ルックスなど比較されまくっており、「比較するな!」というほうが無理筋です。
でも、「なるべく比較しないで生きる」のは幸せの道だ。
例えば地元の友達とつるみ、そこそこの人と結婚し、SNSもそこまで見ない、知的欲求も高くないマイルドヤンキーは幸せを感じやすい。
あと、以下の記事によると、ゴールを実際に達成できたかどうかは、人間の幸福度にはほとんど影響しなくて、達成できそうな目標を持っている数の多さが幸福と関係していたそうです。
詳しくは記事を読んでください。
https://yuchrszk.blogspot.com/2022/10/blog-post_19.html
バーゼル大学「人生の目標を達成しても幸福にはほぼ関係なし!他にやることがあるぞ!」
ところで、以下の4つで皆さんは、どれくらい当てはまりますか?
(複数可であり、割合で答えてかまいません)
1 | 周りを気にする人間。 (個人の人というより、社会的に) |
2 | 周りを気にしない人間。 (個人の人というより、社会的に) |
3 | 自尊心の範囲が自己で収まる。 |
4 | 自尊心の範囲が他者の賛同というものに依存。 (承認欲求) |
僕は、コロナ禍のときはサングラスでマスクをかけて、日傘をして、外をランニングしていたよ。
変人じゃん。
これだけでなく、道徳的にも社会的に世間の目を気にしない人であるなら、「周りを気にしない人間である」と言えます。
僕は「周りを気にしない割合が70%であり、周りを気にするが30%ぐらいだ」と自己分析しています。
変人だからです(笑)
自尊心の範囲が自己で収まるは、「自分で自分を認められるか?」です。
これも僕は70%であり、他人の意見は参考になる場合は取り入れますが、基本的にそこまで影響を受けません。
自尊心の範囲が他者の賛同というものに依存、いわゆる承認欲求の強さは30%です。
僕はそこまで承認欲求は強くありません。
逆に、褒められると、他人の操作の意図を感じ、「やりがい搾取か?お世辞か?」と疑うほどです。
このような周りを気にせず、自尊心がある状態も幸福度を高めます。
周りの目を気にしすぎて、他人の評価に左右され、承認されないと満足しないのであれば不幸です。
男で周りの目を気にせず、自尊心を高めたいなら、筋トレによって男性ホルモンであるテストステロンを増やすのがいいでしょう。
以下の記事でも詳しく書いています。
話を戻します。
ペットや美女やイケメンや子供と絡んだときの幸福は分かりやすいね。
癒やされる。
誰かの役に立ったときも幸せを感じる人がいますが、いい人限定です。
HSPの人は感受性が強く、他人が喜ぶ姿に共感できるので、それで幸せを感じられるかもしれません。
また、ある精神疾患を抱えた人がいた話をします。
その人は、心理学を深堀りしたり、自己分析をしたり、いろいろとしてきました。
ですが、結局はパートナーと結婚できて、自分で月収100万以上稼げるスキルを獲得した現在が、「幸せだ」と言っています。
(友達はかなり少ないですし、身体も病弱ですが、その2つが決定的にその人が欲しかったモノなのです)
望むパートナー(愛)と月収100万以上を稼げるスキルがあると、味方がいる安心感と誰かが離れても自立できる自信が養われることによる安心感があるので、精神が安定するのだろうなぁ。
逆に、パートナーがいない上に、自力で高額を稼げるスキルがない場合、不安感が高まります。
そんな状態で、心理学や自己分析をしたところで、到底自分を納得させることは難しいです。
ならば、欲しいモノを手に入れられる可能性が残っているのなら、猛烈に頑張り、追求するべきだな。
この幸福観を元に、日本の理想の国家像を考えていきますね。
2 幸福観による日本の理想の国家像
「幸福観を前提に、日本の理想の国家像を構築する」となると、まず比較をしない精神が求められます。
でも、競争社会である以上、ある程度の比較はどうしてもせざるを得ないよね?
そこで、「似たもの同士を集めたコミュニティを各地に作る構想」が思い浮かびました。
似たもの同士は気が合い、価値観が合うので、衝突もそこまでせず、平和に、さらに切磋琢磨して暮らせます。
具体的にはどんな感じ?
金持ちの都市、IT起業都市、犯罪率の高い西成のような都市、ワークライフバランス重視都市、など多様な都市です。
それぞれ都市によって集まる人の性質が変わるので、「そこに集まった人達は似たもの同士なので幸福感が上がる」と思われます。
今まで問題だったのは、都市の中に異質な人達が点在していたことだったのです。
異質であれば排除されがちであり、比較によって、劣等感も感じます。
しかし、高レベルな知能の持ち主同士で集まれば、高度な競争で切磋琢磨できます。
逆に、低レベルな知能の持ち主なら、「低レベルで楽な競争をすればそこまで苦しまなくて済む」という理屈です。
それ、差別っぽくない?
若干はありますが、「現実的なプランか」と思われます。
(僕は差別じゃなく、区別だと思っています)
まぁ目的に沿った都市を構築するのはいきなりは厳しいです。
また、各々の人は、企業・学校・家庭・その他の場所などコミュニティに所属しています。
コミュニティにおいて、「その価値観に合っており、人間関係も良好で排除されなければ幸せを感じやすいか」と。
結局、人間は似たもの同士が集まり、多様性なんてものは絵空事なのです。
似たもの同士がコミュニティを作り、異質なコミュニティ間でほどほどの距離を取り、お互いにそこまで干渉せず、「日本に存在は許されるよね!」程度の多様性でしかありません。
また、多様な人がいるからこそ、何か危機が起きた際、生き延びる可能性も上がります。
で、似たもの同士のコミュニティが骨格であり、似たもの同士のコミュニティに異質が混じると、混乱の元になります。
金持ちのコミュニティに入りたければ、そのコミュニティに入れるほどの魅力や能力が必要です。
なければ入れませんし、「自分に合ったコミュニティに入るだけ」のことです。
分断というのは、お互いのコミュニティが衝突し、争うことです。
共存であれば衝突はせず、「それぞれのコミュニティの存在が認められ、それぞれの道を行くだけの話」なのです。
もしくは一匹狼の人もいれば、いろいろな複数のコミュニティを掛け持ちして所属している人もいます。
(リアルだと、移動の手間がかかりますが、ネットなら自宅からでも参加できるので)
ということは、幸福度を重視するなら、「自分に合ったコミュニティを探し、所属すること」ってことか。
(高望みしてもいいことはないのか)
残念ながら、そうです。
また、「自分に合ったコミュニティがない」と感じたら、自分でコミュニティを立ち上げるのも手です。
以上、コミュニティ論と、幸福観による日本の理想の国家像でした。
長い文章に付き合っていただき、ありがとうございました。
ではこの辺で。(4209文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
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