どうも、太陽です。(No140)
突然ですが、音声通話アプリGravityで「利他的に生きるべきか」で悩んでいる人がいて、僕は相談に乗りました。
その相談内容をざっくりとまとめます。
興味がある人は続きをお読みください。
1 利他的に生きることへの悩み。
いきなりですが、Z世代のその女性の悩みは「利他的に生きていていいのか」というものでした。
ということは、逆にいえば「利他的に生きていて損をしている」と感じていることにつながります。
利己的に生きている、自己中、ポジショントークの人だらけの世の中において、利他的に生きることは損であり、食い物にされます。
そこで、僕は以下の記事に書いたアドバイスをそのまま送りました。
メンタリストDaiGoの説くセルフコンパッションの大事さ「傷だらけの人生からの脱却」
以下、一部引用しつつ、改変します。
1 エニアグラム別の楽しさ。
まず、エニアグラムという性格分類が存在しています。
詳しくは以下の記事を読んでほしいのですが、省略し、簡単に楽しさの感じ方で説明します。
タイプ2の助ける人は、「相手が楽しければ自分も楽しいタイプ」です。
タイプ7の熱中する人(楽天家。ひろゆきのような人)は、「自分が楽しければ相手も楽しい」と感じているタイプです。
タイプ9の平和を好む人(調停者)は、「お互いが楽しいのがよい」と思っていますが、どちらかといえば「一歩相手に譲るタイプ」です。
エニアグラムタイプ別ではこのように「自分中心」か「他人中心」か「お互い」かである程度分かれますが、この分類を僕たちに当てはめてみましょう。
つまり、以下のようになります。
・ | 「相手が楽しければ自分も楽しい」と感じる。 |
・ | 「自分が楽しければ相手も楽しい」と感じる。 |
・ | 「お互いが楽しいのが良い」と感じる。 |
皆さんはどれに当てはまりますか?
これは相性診断でもあります。
自己犠牲タイプの人は、「相手が楽しければ自分も楽しい」になりがちです。
で、「自分が楽しければ相手も楽しい」タイプ(自己中心の王子・王女様タイプ)と相性がよく、惹かれがちになります。
相手が喜んでいると、自分も楽しくなる、いわゆるミラーニューロンが働くので、自己犠牲タイプはそういうわがまま王子様タイプに心惹かれるのです。
逆に、「相手が楽しければ自分も楽しい」タイプが一緒にいると、どちらも相手に尽くすタイプなため、親切やギブなどの押し付け合いになり、お互いに満足しづらいのです。
僕は、自己犠牲タイプであり、「相手が楽しければ自分も楽しい」になりがちなので、自分の体験上からも「自分が楽しんでいる人」のほうが付き合いやすく、安心感を持てました。
このアドバイスを女性に言ったら、その女性は「相手が楽しければ自分も楽しいタイプ」であり、相手にギブを提供するタイプですから、「それを受け止めてくれる人が良い」と言っていました。
次に、この「自己犠牲タイプとは何ぞや?」という点から、「ギバー・マッチャー・テイカー」の話をします。
2 ギバー・マッチャー・テイカーの話。
ギバーとは「与える人」のことであり、マッチャーとは「GIVE&TAKEの関係」であり、テイカーとは「奪うだけの人」となります。
「大成功者にはギバーが多い」のですが、大失敗者にもギバーがいます。
理由は、与える対象の違いです。
つまり、大成功者はギバーやマッチャーに与えて、恩を返してもらっており、テイカーには与えません。
しかし、大失敗者のギバーは「恩を返さないテイカー」に与えてしまい、「搾取だけされる扱い」になるから、大失敗になるのです。
自己犠牲の人とは、つまり「テイカーに食い物にされた人」のことです。
で、いくら「相手が楽しければ自分も楽しいタイプ」でも、その相手がテイカーなら食い物にされるだけなのです。
その点、「自分が楽しければ相手も楽しいだろう」と感じるわがまま王子・王女タイプは、そもそもギブを積極的にするタイプじゃないので、テイカーに食い物にされません。
ギブをしないと、大成功者にはなれませんが、「ギブする対象をよく選ばないとマズイ」ということです。
このアドバイスを女性に送ったところ、かなり納得していました。
利他的であること自体は良いことであり、問題は「誰にギブするか?」という対象の問題なのです。
搾取され、食い物にされないようにギブすべきなのですね。
さらに、利他的であることは良いことですが、「もっと自分を大事にしなよ!」と僕はアドバイスしました。
いわゆる、セルフコンパッションであり、他人に優しくするように、その優しさを自分にも向けるのです。
あとは、利他的であることで、他人に譲りすぎていて損をしている部分があります。
で、それは強さではなく、単なる弱さなので、「交渉術などを学び、上手く自己主張し、自分の意見も通せるようにしたほうがいい」とアドバイスしました。
加えて、あまりにも利他的であると、「裏がある人だ」とみなされ、損をするという話もしました。
多少は自己中で、自分の得になるように動く人間を人は好むのです。
あまりにも他人中心だと偽善的とみなされ、大半の自己中に動く人が嫌味な人間に映るため、そういう「マザーテレサみたいな聖人君主は敵視されやすい」のです。
この話をしたら、「利他的に動いていて、そういう風に見られるとしたら嫌だなぁ」とその女性は言っていました。
ここからは、別の話に移ります。
そのZ世代の女性や、他の人達と議論になったことをまとめます。
2 メンタリストDaiGoとひろゆきのスタイル。
メンタリストDaiGoは「科学的根拠がある論文を紹介するスタイル」ですが、相談者の女性は「メンタリストDaiGoには自分の主張がないのか!」と言っていました。
そこで僕が言ったのが、メンタリストDaiGoの意見は質疑応答動画でたまに言っていますが、メンタリストDaiGoの意見を言うと、ひろゆき風にいえば感想になると言いました。
つまり、感想を聞きたいユーザーよりも、科学的論文の話を聞きたいユーザーのほうが多いから、メンタリストDaiGoは「そのスタイルで勝負をしている」というモノです。
また、別の人は「論文は都合のいい部分だけを見せることも可能だし、参考になるのか?」と言っていたので、僕は以下のように返しました。
メンタリストDaiGoは「そもそも自分でいろいろなことを試したい」と思っており、試すとしたら、「我流よりも巨人の肩に乗る、つまり論文などを参考にしたほうがよい」のです。
しかも論文は多くの人に当てはまる確率が高いです。
だからこそメンタリストDaiGoは論文の主張を試しています。
で、上手く行かなかったら別のことを試すだけであり、「その内容を他人に紹介してビジネスをしている」というモノです。
僕も「画期的なビジネスアイデアを思いついた!」と感じるときがありますが、大抵は調べてみると、「すでに存在していた!」ということが多いです。
つまり、「巨人の肩に乗ること」は効率が良い上に、守破離という手法もあるように、まずは師匠の型を守り、そのあと発展させ、最後に離れて、自分流を確立する順番があるのです。
メンタリストDaiGoの動画や、本などで僕が学ぶ理由は「効率を重要視しているタイプ」なのもあります。
自分の主張や仮説を述べるのも大事ですし、現に僕はこのブログで実行していますが、もしかしたら、すでに論文などで紹介されているかもしれません。
次に、ひろゆきの主張ですが、ひろゆきは「ひろゆきが言っていたから」というように、「誰かがこう言っているから信頼すべきではない」と言っています。
信頼すべきかどうか見極めるには、「理由や根拠の部分に納得が行くかであって、ひろゆきは意識して理由や根拠を詳しく説明するスタイル」をとっています。
そして理由や根拠をちゃんと理解した上での主張じゃないと、応用が利かないのです。
ひろゆきの主張を信頼すべきかどうかは、理由や根拠で判断すべきことであり、「ひろゆきが言っていたから」で済ましてはいけません。
ちなみに、メンタリストDaiGoのスタイルは論文を細かく説明するのは厳しいので、どうしても端折った展開になりやすいです。
で、結論部分など、美味しいところだけをつまみ食いすることになり、実験の詳細な仕組みなどは省かれることが多いので、実は要注意なのです。
メンタリストDaiGoのスタイルのほうが応用が利きづらく、「単に試してみて効果があるかないかを判断すること」になりがちです。
(まぁ仕方ないのですけどね)
このように、メンタリストDaiGoとひろゆきのいいとこ取りをし、自分の人生に活かすべきでしょう。
また、「エニアグラムやBIG5やその他の自己分析テストなどで、自分を知ることも大事だよ!」と僕が言ったら、ある女性が「頭で考えるよりも、経験を積んで徐々にわかってくる」と言い、その主張には一理あります。
ですが、それでも「自己分析には価値がある」と僕は思っています。
いわゆる、ジョハリの窓であり、以下のようになっています。
1 | 開放の窓。 | 自分も他人も知っている自己。 |
2 | 秘密の窓。 | 自分だけが知っていて、他人にはまだ知られていない自己。 |
3 | 盲点の窓。 | 他人は知っているが、自分では気づいていない自己。 |
4 | 未知の窓。 | 自分と他人も知らない、誰からもまだ知られていない自己。 |
この4つのうちの、3や4の「他人は知っているが、自分では気づいていない自己」と「自分と他人も知らない、誰からもまだ知られていない自己」の窓が見えてくる可能性が自己分析ツールにはあるのです。
経験則だけで勝負する人間は、ビスマルクの名言「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」を理解していないのかもしれません。
歴史や巨人の肩や自己分析などのツール(理論)から学ぶと、効率がいいのです。
確かに、経験しないと、理論が腹落ちして理解できないことも多いですが、それでも頭の片隅には入ることでしょう。
コンサルタントの世界ではKKD(勘、経験、度胸)は悪い意味に使われます。
経験則も大事ですが、それよりもデータや理論のほうが価値があるのです。
以上、Gravityのアプリでの相談や議論の内容でした。
参考になる方がいれば幸いです。
ではこの辺で。(4208文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
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