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「不合理だからうまくいく」という本があるが、本当だろうか?(力作記事)

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どうも、太陽です。(No207) 

 

突然ですが、「不合理だからうまくいく」という本が存在しており、本の中身は読んでいませんが、タイトルの言葉から勝手に邪推して、「本当だろうか?」と問題提起の記事を書きます。

また、「人はある程度は合理的に動いている」(特に賢い人は)という主張もします。

興味がある人は続きをお読みください。

目次

1 「不合理だからうまくいく」という本があるが、本当だろうか?

そもそも、僕は人間は「以下の動機で動いている」と考えています。

1損か得か(理性、合理的)
2快か不快か(感情、不合理)

賢い人ほど、一時の感情や不合理に左右されず、中・長期目標を損得で考えて達成します。

受験勉強とダイエットは、どちらも苦痛を伴いますが、損得で考えて、得だから、頑張ろうと思えます。

もちろん、環境が悪い、または意思の力が弱くて、頭では得だとわかっているけど、楽な方向の誘惑に抗えず、「達成できない」はありえます。

 

さて、ここで、投資の話をします。

昨今、集団自決発言の成田氏が炎上していますが、僕は正直「どうでもいい」と思っています。

炎上させる成田氏アンチ側が意見を変えるわけがないですし、スポンサーも炎上に屈する態度をとります。

また、僕は成田氏擁護側ですが、時間や労力を費やしても世の中は変わりません。

それよりも自己向上に時間を費やしたほうが断然マシです。

 

変わらない世の中、政治家、他人に期待しすぎて、時間や労力を費やすことにほとほと疲れていますし、ほぼ徒労に終わります。

であるならば、確実に変わる部分、つまり自己向上身内を大事にすればいいのです。

もちろん、影響力がある人や権力者はそれをいい方向に使えばいいでしょう。

1 投資について。

投資はリターンが返ってくるのが前提です。

リターンが返ってこない投資は意味がありません。

自分が費やす時間も労力も金も、投資として考える必要があります。

変わらないもの、リターンが期待できないものに投資し続けるのは愚かです。

ボランティアで好きでやっているなら別です。

 

逆に考えると、「スポンサーやパトロンから投資される、または目をかけてもらうにはどうしたらいいか?」という視点が出てきます。

自分は「これから成長する有望株だ」と納得させれば投資してくれるでしょう。

能力の高さで示すのが確実ですし、努力量も良いです。

意欲は当てになりませんし、自画自賛は最悪です。

リターンが期待できない対象に投資するのはボランティアです。

 

そして、「なぜ自分に投資してくれないんだ」と怒るのは愚かです。

「相手にボランティアを強要するのか?」と思います。

相手が「投資するに値しない」と判断したのですから、それを受け入れるしかありません。

「ボランティアしてくれ!時間と金と労力をただで使ってくれ」と要求するのは傲慢です。

 

投資家は自らの視点・選考基準で選別しています。

彼らの金・労力・時間を賭けてやっているのですから、投資なのです。

投資されない、選ばれないからといって文句を言うのは相手に「ボランティアしてくれ!」と要求するのと同じであり、無茶苦茶です。

会社や経営者に対して「自分は能力が足りなくて、給料以上の価値を会社に提供できませんが、ボランティア精神で雇って、給料をください!」と要求しているのと同じです。

能力がかなりあり、リターンも出せるのに会社が雇用しないのであれば、会社の自己責任であり、損失ですから、放っておけばいいのです。

2 自由取引市場について。

もしくは、自由取引市場では、相手と自分がお互いにWin-Winだと合意し、納得した上で取引や仕事をしますよね?

投資家や経営者にも相手を選ぶ自由がありますし、社員や労働者にも相手を選ぶ自由があります。

これを捻じ曲げ、文句を言うのは自由取引市場ではありません。

 

ですから、東大が古文・漢文を重要視しているなら、好き勝手にすればいいですし、それに共鳴する受験生なら、それでいいですし、好き勝手にすればいいのです。

ですが、僕が受験生だったら、東大を選ばないですし、そもそも共通テストで足切りされるでしょうから、元々関係ない話です。(東大に入れません)

東大が自滅しようが「どうでもいい」と思っています。

 

しかし、世の中には「市場の失敗」もあります。

新聞業界が将来、「日経新聞1社独占になりうるのを放置はいいのか?問題」と、「本屋が減少するのを放置はいいのか?問題」があります。

市場原理が行き過ぎると、問題が生じ、そこで補助金が発生します。

 

本屋振興策として、一番有効なのが「図書券配布」でしょう。

(図書券は「本屋の利益にそこまで還元されない」という意見も見ましたが)

Amazonギフト券を配る企業は多いですが、図書券を配る企業が多くなる誘因を作るのも有効かもしれません。

3 東大について。

さて、東大は「腐っても東大」であり、権威とブランドがあり、それに釣られる学歴厨が受験して、殺到するので「古文・漢文程度のハンディキャップは乗り越える」と思っています。

ですが、僕にとってはどうでもよく、非効率を課して、それに共鳴している者がいようが関心がありません。

 

僕の理想としては、古文・漢文は選択科目にするです。

共通テストに課すのもやめてほしいですが、方針を変えるつもりはないでしょう。

選択科目で「万が一のために残しておく程度でいい」と思いますけどね。

それすらできないのは利権なのでしょうか?

 

以下の西内氏のツイートは興味深いです。

 

「勉強、研究、ビジネス、投資」(芸術とスポーツは今回は除いておく)は、すべて違う競技です。

全てで成功する人は万能人であり、この中で一番価値が低いのは勉強です。

違う競技という認識がないから学歴厨になるのでしょう。

 

2つ目の、西内氏のツイートを貼ります。

 

僕は、高校時代から、論文教育に触れさせる目的として「日本論文プラットフォーム」をブログ記事で提唱しました。

僕が一番、大学受験で役立った科目が小論文だったので、「小論文を早期に経験するのは良い」と思ったのです。

共通テストの国語、さらに「古文・漢文なんてやっている場合じゃない」と。 

まぁ国語という科目は落とす目的の受験と相性が悪いです。

小論文・論文は採点が異常に難しいですが、価値がある教育です。

 

また、ChatGPTが出現したから、教育のあり方も変わりますね。

試験会場でのカンニングできない学力が重要になります。

つまり、地頭というか、地の能力です。

カンニングやChatGPTを頼るのは悪くないですが、そればかりだとマズイです。

 

3つ目の、西内氏のツイートを貼ります。

 

「伝統を保護」の象徴が古典でしょうか?

現代において役立たなくても、伝統保護という名目で共通テストで必修にしているようです。

伝統を保護するとどんないいことがあるのでしょうか?

 

4つ目の、西内氏のツイートを貼ります。

 

日本人のアイデンティティの維持のようですね。

「日本語で十分じゃないか?」と感じます。

まぁ右翼の伝統主義の象徴なのでしょう。

感情・情緒を重視で、合理的には考えられないのが右翼です。

感情・情緒ですから、意義も曖昧です。

 

合理主義・効率・コスパ主義の僕にとって、右翼の情緒・感情の伝統主義と相性が悪いです。

「勝つ・成果を上げる」が至上命題で、そのために合理・効率・コスパを重要視し、筋肉質でトレーニングしたい欲求があります。

対して、情緒・感情の伝統主義は、勝つ・成果を上げるを軽視します。

無駄・ハンディキャップを残します。

 

まぁ伝統保護という、意義も曖昧で、「役立つことの説明もできない古文・漢文を課す大学なんか選ばなければいい」とも言えます。

古文・漢文を課さない大学はいくらでもありますし、AO入試もありますし、嫌なら関わるな原則です。

「行動させる正当な理由の説明なしに働かせられる民間企業=古文・漢文を課す大学」というイメージです。

合理的じゃないですし、「徒労に終わるだろうな」という予感を感じても、上からの司令なのでやらざるを得ません。

せめて金をもらえたら頑張れますが、大学受験は給料はもらえません。

 

有名大学に受かっても、大学に授業料(場合によっては奨学金)を払い、大したことない勉強をして、得られるのは大企業への新卒採用切符と、研究者への切符であり、「リターンが割に合わない」と感じます。

リターンを考えると、東大はコスパが悪く、早慶がコスパがいいです。

大学受験は中身が実用的じゃないのですから、効率よく突破し、有名大学(早慶)の学歴だけ手に入れるのは戦略的です。

早慶は無理なら、MARCHか日東駒専でもいいでしょう。

資格武装すれば大企業で足切りされないはずです。

「無駄・ハンディキャップが多様性の名目であってもいい」と思いますが、せめて「選択科目だ」と思います。

 

なぜ、共通テストで国立大学に課すのでしょうか?

存在理由を説明できず、伝統保護で曖昧な意味で残す方針です。

しかし、正論をいくら言おうが、情緒・感情の右翼ですから、効果ないですね。

 

また、東大の古文・漢文教育を変えようと思ったら、以下の行動を取らないといけません。

東大の教育方針に近い偉い人と接触し、説得する。
仮に説得に成功して、東大が古文・漢文を選択科目にしても、手柄は名誉ぐらいです。

上記のことを実行するのは相当に大変ですが、リターンは少ないのです。

 

以下のけんすうさんのツイートは「人が他人を変えようと思ってしまう理由と、自分が他人の考え方や価値観を変えたいと思ったとき、どのように対処しているか?」が書かれています。

 

大抵は、「その人が必要としているもの」「本当にその人のためになること」をしたいわけじゃないということがわかります。

自由取引市場である日本において、東大含め国立大学が「古文・漢文を課す」のはそれの効果を信じているからであり、他者が批判しても余計なお世話なのです。

僕ができるのはそういう大学を選ばない、不買運動です。

4 人はある程度は合理的に動いている。(特に賢い人は)

また、以下のふろむださんのツイートはかなり重要です。

頑張らない人が何故頑張らないのかというと、多くの場合「頑張るのが割に合わないから」という合理的な理由による、と書かれています。

 

合理的なシステムを設計するのが先ですね。

少子化問題も該当し、ほとんどのことに言えます。

「割に合う、リターンが返ってくる」など、期待できれば動く人は動きます。

大企業の内部留保が多いのは「投資先がないから」でもあります。

 

これが「人はある程度は合理的に動いている」(特に賢い人は)という意味です。

「リターンが返ってくる、割に合う」という期待があれば、人は怠け者でない限り、動きます。

5 賢い人について。

さて、賢い人の定義をここで書きます。

最近、改めて思ったのが、頭の良さを測る基準として、言っていることの正しさの的中率、つまり「的確率」は使えると思いました。

発言の的確率7割を超えたら、相当に頭が良いです。

どの世界も、たまには勝ったり、正しいことを言う場合はあり、つまり、「確率の問題だなぁ」と。

 

ただ、単純な確率だけでは測れないこともあります。

的確率は5割を超えている人でも、大きな進むべき方向性で間違うと、ダメージがでかいです。

戦略(方向性)でミスっており、その後の戦術(実行)でカバーできません。

つまり、「方向性(戦略)と的確率(戦術?)で頭の良さを測るのもありだな」と思うのです。

 

心理学の再現性4割は学問のなかでは低いですが、人間という複雑系を研究している中で4割は健闘しているのではないでしょうか?

4割あれば「そこそこ使える学問という立ち位置では?」と思うのです。

発言・主張が、的確率4割の人なら、有能です。

理系や物理学のほうがまだ心理学と比べたら、再現性は高いでしょう。

 

すべては確率であり、打率であり、方向性なのです。

一発屋があまり評価されないのは打率が低すぎるからです。

打率の高い人のほうが「成功に再現性があり、実力がある」とわかります。

言っていることの正しさにムラがある人(的確率)、または方向性が間違っている人に対して、人は「そんなに賢くないなぁ」と感じます。

 

逆に言えば、的確率が高く、方向性が正しいと成果が上がる可能性が高いので、賢いと思われますね。

ちなみに、的確率の判断は人それぞれで、あくまで「打率の高さ」という漠然としたイメージで捉えてください。

 

衰退産業でも、「好きだからやっている」という自覚があるなら、頭が悪いわけじゃないでしょう。

衰退産業で、方向性は悪いのに「人にウケる」と信じている人が賢くないのです。

「衰退産業でも工夫次第ではウケる、儲かる」という認識なら大丈夫です。

つまり、「メタ認知力の高さ」も賢さと関係しています。

 

ブログ界にも明らかに儲かる・ウケる、儲からない・ウケないジャンルが存在しており、儲からないジャンルで勝負しても、現実は残酷で成果が出ません。

それに気づき、軌道修正すれば賢いですが、軌道修正せず、「儲かるのだ」と続ける人は趣味ならいいですが、利益重視なら賢くありません。

ジャンル選定は自分のリソース次第であり、上手く書けるジャンルもあれば、そうじゃないジャンルもあります。

上手く書けるジャンルがニーズがなく、人気がないときついでしょう。

趣味なら、自己満足ですから、儲からなくても続ければいいのです。

 

まぁ「儲かりたい・利益を得たい」という目的があるのなら、ジャンル選定、方向性が大事であり、実行(戦術)をいくら頑張っても「徒労に終わる」という当たり前のことでした。

東大の古文・漢文採用は戦術のハンディキャップですが、それくらいは取り返せる余裕が東大にはあるのです。(強者の余裕)

 

ここで、爲末大さんのツイートを貼ります。

努力、つまり実行(戦術)について非常に参考になります。

 

橘玲さんの以下の記事は、今回の僕の「的確率と方向性という賢さ」と少し似ています。

平均よりも精度の高い(現実をうまく説明する)モデルをもっているTENの人たちのことですね。

世界を数学的に把握する者たち

 

また、「最初から的確率や打率を上げられるか?問題」があります。

失敗や訓練を積んでこそ、的確率や打率は磨かれるものです。

何かの実践の場に置かれたら、課題が山のように降ってきて、対処に追われます。

知識だけじゃなく、智慧を総動員しないと問題に対処できません。

さらに、高い成果・結果を求められたら、科学研究を待っていたら、ライバルの先をいけません。

よって、自分の試行錯誤の実験思考になります。

 

アスリートの為末大さんの以下のnote記事はまさにこのことを伝えています。

https://note.com/daitamesue/n/n805b63a5e6b3

実験のセンス

 

コミュ力を磨きたかったら、実践の場でいろいろな人と関わったほうが本を読むより、上達が早いです。

実践で悩んでから、本を読んだほうが理解が深まります。

女性との付き合いも、揉まれて強くなります。

失敗しまくりますが、それを女性は許容してくれず、去るので、なかなか改善のヒントに気づけず、難易度が高いですけどね。

 

6 勘違い力について。

賢さは「的確率と方向性とメタ認知力だ」と書きました。

しかし、実行力とは別物です。

賢いがゆえに、正確なリターンが把握できると、リターンが返ってこない分野においては頑張れなくなります。

逆に、賢くなく、正確なリターンを把握せず、リターンを多めに見積もり、勘違いすると、たくさん努力する人もいます。 

勘違いこそが、突破力であり、実行を生むのです。

 

起業家の多くは自信家で、リターンを多めに見積もり、勘違いしているからこそ、無謀なことにも挑戦します。

失敗者も多いですが、稀に成功する人も現れます。

つまり、不合理な人も稀に成功します。

「不合理だからうまくいく」という本のタイトルもあながち間違っていないようです。

または、結局は、ある程度調べても、実際に行動してみないと未知数のことが多いので、勝算が見えたら、「えいや!」とやってみよう精神で起業する人もいるでしょう。

最初から、的確率や打率を上げられないので。

(起業や投資の世界で、行動していないのに、預言者のように的確率が高い人がいたら、実際に行動したら、普通の人より成功率が高くなります)

2 コミュニティ運営論。

最後に、コミュニティ運営論についても蛇足ですが、書きますので、興味がある人は読んでください。

以下のツイートを貼ります。

 

社員と同じ目線に立ち、苦労がわかっている経営者じゃないと、社員から支持を得られない可能性があります。


仮に、ITスキルがわからない社長がIT企業を運営していたら?どうでしょうか?

大企業なら機能するでしょうが、中小企業だと支持が得られないかもしれません。

「まず汗を出せ、汗の中から知恵を出せ」は、社員と同じか、似たような苦労をしろ!という意味だと捉えました。

 

さて、私塾やコミュニティを築くことにおいて、「志を共有できるか?」はかなり重要です。

最近、移民問題・中国による日本乗っ取り問題などで問題意識を共有できそうな人とつながれました。

これは由々しき・切実な問題で「誰かが解決に乗り出すか、問題提起する必要はある」と感じます。

 

私塾において、「ある問題を解決しよう、いや解決しなければならない」という熱量が高ければ高いほど、コミュニティの団結は高まります。

仮想敵程度だと、同じ恨みがある人は別ですが、そこまでじゃない人を巻き込むことはできません。

 

「コミュニティ支配論」という記事がありますが、そもそもコミュニティの運営において、「どのような志や解決すべき問題があるか?の設定」「それを共有し、団結して行動できるか?」が大事です。

志に共鳴できない人や解決する問題意識が低い人はメンバーに入れるべきじゃありません。

 

志や問題意識の共有問題とは別に、メリットも重要事項です。

YouTube塾だったら、1人でやるよりも、そのコミュニティに入ったほうが得で、向上するのが早いから入るわけです。

YouTube運営ノウハウ、さらにYouTube仲間と情報共有、そして「有名YouTuberがいたら、その人に宣伝してもらったら、知名度上げるのに効率が良い」などのメリットがないといけません。

コミュニティ運営とはこのように、入会したら何らかのリターンがあるから入ります。

そのリターンを明確にし、それがきちんと得られているうちはサブスクのように課金し続けます。

 

また、無料でコミュニティを運営しようというのなら、せめて運営主が塾生にいろいろなノウハウを提供できる能力と労力が求められます。

コミュニティ運営者はギブを求められており、大変です。

無料でやるなら、その価値があるのか?深く悩むでしょう。

 

コミュニティ運営者にノウハウがまったくないのなら、単なる井戸端会議程度の意識で参加し、気に入らなくなったら、脱退など、団結力はありません。

リターンも示せていないのですから、集団の団結を促す誘因がないのです。

このように、志や問題解決への意識の高さと共有、メリット・リターンを示せるか?、運営主に力量があり、ギブできるか?が問われます。

 

読者にとって、なにかの参考になったり、ヒントになったのなら幸いです。

 

ではこの辺で。(7431文字)

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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この記事を書いた人

大量の情報を咀嚼して、独自の視点からの考察・分析・エッセイ記事などを書いています。

質で勝負するブログのため、敢えて正体を明かしていません。

ブロガー歴10年以上。多数のブログ運営経験あり。

得意分野。経済、ビジネス、教育、心理学、執筆、アイデア発想など。

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