どうも、太陽です。(No89)
突然ですが、皆さんは「表面化力」という言葉を聞いたことはありますか?
「聞いたことがない!」という人が多いでしょう。
なぜなら、僕が作った造語だからです。
今回、僕が提唱する、造語としての「表面化力」について詳しく解説したいと思います。
興味がある人は続きをお読みください。
1 表面化力とは?
表面化力とは、僕の造語ですが、「内心の本音や本性を隠し、建前と表面上の振る舞いが洗練されて、良いところだけを見せる能力」と定義します。
もっと簡単に言えば、建前力というモノです。
または「外面がいい人」です。
大人は社会や仕事では、本音をあまり見せず、建前ばかり見せてきます。
営業マンや電話対応(オペレーター、コールセンター含む)では、顧客に迎合し、取り繕います。
表面上は「いい人?」に見えるのが、大人の対応というものであり、表面化力です。
争いは基本的に、裁判などで決着をつけるが、警察に相談したり、駆け込みます。
イメージしやすいのが、アナウンサーでしょう。
アナウンサーは声のトーンも落ち着いていて、魅力的であり、これこそ表面化力のお手本です。
敏腕営業マンも、表面上は「いい人?」に見えますが、内心の本性は詐欺師の可能性もあります。(なぜなら、顧客にしょうもない商品を売りつけているからです)
社会人に求められる能力の筆頭格が、この表面化力であり、建前であり、外面力でしょう。
本音や本性(特に悪い面)ばかりを、社会や仕事で出しまくっていたら、嫌われますし、仕事になりません。
次に、実は、この表面化力は、社会人だけでなく、サイコパスも持ち合わせている、もしくはサイコパスは表面化力をさらに磨き上げているという点について深く解説します。
2 サイコパスが持つ表面化力とは?
サイコパスは、実は、一見、表面的にはものすごく「いい人」「魅力的な人」に見えます。
しかし、普通の人と決定的に違っているのが、「良心があるかないか」だといいます。
以下の本に詳しく書かれているので、興味がある人は読んでみてください。(DaiGoも推薦しています)
良心が欠けているため、残酷な行いを平気で行えるのです。
普通の人には想像がつかない世界です。
「良心は皆、持ち合わせているはずだ」と普通の人は思い、道徳的にも倫理的にも残酷な行為はよほど追い込まれた特殊な状況にない限り、「普通はしないだろう」と思われがちですが、サイコパスには良心がないので、普通に平然とやってのけます。
そして、人をコントロールすることが得意であり、良心がないので、酷い行為をしても、同情を誘うように持ち込んできます。
普通の人が逆に、「こちらが悪いことをしたのか!?」と思わされ、惑わされるくらいです。
良心のある人ほど、「自分は完璧じゃない。反省すべき点がこちらにもある」など、きちんとした良識があるので思いがちですが、サイコパスはそんな意識は持ち合わせておらず、「自分は決して悪くない。悪いのは全て他人だ」と思っています。
ですので、サイコパスを叩きのめすには、こちらも同情心など湧かせる必要はなく、「徹底的に叩きのめせばいい」と僕は思います。(こちらもサイコパスになり、良心をなくすのです)
サイコパス対策には、アンチサイコパスを充てるのが一番いいと思います。(お互い、良心をそこまで持っていないので、行われた悪行に対して、変な感情が入らず、対応・対処できます)
加えて、政治家や社会的立場が上になると、共感力が薄れ、サイコパス的に一時的になるケースもあります。
サイコパス的と書いたのは、完全なサイコパスじゃなく(あるデータによると人口の4%がサイコパス)、社会的立場が上なため、共感性が弱くなった状態ということです。
ちなみに、人口の4%もサイコパスがいれば刑務所はサイコパスだらけになり、収容不可能になるでしょうが、現実はそうじゃないので、ほとんどのサイコパスは捕まっておらず、普通の生活の人達に紛れ込んでいます。
話を戻します。
サイコパス的な人とは「他人の痛みが分からない人」のことです。
「他人のことをそこまで考えない」とも言いかえられます。
社会的立場が上になり、権力を持てば、人は自然に、他人(国民)の痛み・苦しみに鈍感になり、弱い立場の人の感情や状態を想像できなくなります。
なので、的はずれな政策を考え、国民や世論の肌感覚とはまったく違うことを行う政治家や官僚たちが出来上がるのです。
また、週間文春の受付の人(記者?)も表面化力がかなり高かったです。
N国党の立花孝志さんが、週刊文春に突撃の電話をかけたのですが、「社会人の見本のような電話対応」をその週刊文春の人はしてました。
しかし、現実は週刊文春はきわどいことをやっています。
これこそ、サイコパスと言えるかもしれません。(もちろん、週刊文春がたまに政治家などの悪行を暴く行為もやっており、アンチサイコパスのような役割も果たします。新聞やTV局が本来の権力の監視をしなくなったため、週刊文春が代わりにしています)
このように、表面化力に惑わされる人は世の中に多いと思われます。
逆に、口が悪い人は、「正直な人」だと言えます。
もちろん、プライベートのときだけ見せる顔であり、仕事の場で、口の悪さを見せまくったら、マズイですが。
表面化力という概念を覚えておき、人はこのような処世術を身につけているので、建前の言葉や態度や対応に騙されないように、くれぐれも注意してください、という記事でした。
3 セクハラ報道の箕輪氏の件について。
以下の記事を貼ります。
https://www.asahi.com/articles/ASN6871VPN68UCVL03R.html
セクハラ報道の箕輪氏謝罪 ニューズピックスブック終了
週刊文春オンラインで、幻冬舎の編集者の箕輪厚介さんが、一介の女性フリーライターとの間で揉めて、セクハラをした(不倫関係を迫った)と記事化されました。
その後、箕輪厚介さんは自身のオンラインサロンで、「自分は悪くない、反省していない」みたいなことを発信していて、それも週刊文春オンラインで記事化されてます。
この週刊文春の告発を受けて、今回、箕輪厚介さんが「僕自身、一般的常識を欠き、傲慢(ごうまん)な人間になっていたことを自覚し、深く反省しております」と投稿し、けじめとして、TV出演の自粛やニュースピックスブックの編集長を退任すると発表しました。
今回、あくまで仮定として話を進めます。
以下、仮定ですので、本当の話だと信じないでください。
仮に、箕輪厚介さんがサイコパスだったとしたら、今回の件も実はまったく反省しておらず、表面的に謝罪をしただけということになります。
内心は「謝罪をしておけば、世間もこれ以上、追及してこないはずだ」という目論見があります。
で、普通の良心ある人たちはこの箕輪厚介さんの謝罪を見て、「この人もやりすぎたと反省しているのだろう」と思い、それ以上、責めなくなります。
これが普通の良心ある人たちの反応です。
ですが、箕輪厚介さんがサイコパス(あくまで仮定)だとしたら、内心はまったく反省しておらず、単なるポーズに過ぎません。
または、完全なサイコパスじゃなく、良心は多少あるサイコパス的な人なら、「これ以上、責められないようにとりあえず謝っておこう」と考えるでしょう。
本当のサイコパスやサイコパス的な人達は、表面化力がかなり高く、内心の本音では「自分はまったく悪くない」と思っていますが、反省するそぶりだけは上手く、世間の同情を誘うのです。
しかし、ここからは僕の推測ですが、箕輪厚介さんがIQのかなり高いサイコパスだったとしたら、オンラインサロンであのような失態や失言をしなかったと思われます。
「自分は反省していない」なんて言ったら、どうなるか予測がつくからです。
というわけで、IQがそこまで高くなかったか、もしくは「サイコパスじゃない可能性もある」と思います。
ただし、権力側の人間になっており、一時的なサイコパス的な人になっていた可能性は高いでしょう。
だからこそ「自分は悪くない、反省してない」と言ったのです。
サイコパス的な人達の特徴であり、共感力が弱まり、「弱い立場の人の苦しみが理解できなくなっていた」と思われます。
ちなみに、これはあくまで僕の推測であり、仮定の話なので、真に受けないでください。
サイコパスの仮の事例の話として捉えてください。
例を出した方が分かりやすいと思ったから、書いただけです。
サイコパスの心理が理解できたでしょうか?
サイコパスには良心や罪悪感がないので、謝罪を真に受けてはいけません。
きちんとした「社会的・金銭的制裁を下す」必要があります。
「良心がなく、罪悪感がない」人達にはそういう厳罰が一番、効きますからね。
くれぐれも、「一時の同情で、相手の罪を許すなんてことはしない方がいい」と僕個人なら思いますけどね。
僕なら、サイコパス相手には金銭的ダメージを負わせますね。
「謝罪も一切要らない」と言います。
形だけの謝罪や、その場しのぎの土下座なんてされてもまったく意味ないですから。
だったら「最初からやるなよ」という話になります。
ではこの辺で。(3878文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
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