どうも、太陽です。(No109)
突然ですが、皆さんは幸福について考えたことがありますか?
幸福は主観的な要素が大きく、感じ方なので、楽観的な人ほどやはり幸福度は高くなりがちです。
「自分の主観でいいので、幸福度を10点満点でつけるとしたら何点つけますか?」という質問に対して、8点以上をつける人はかなり幸福でしょう。
世間体や客観的な要素は排除してもかまわないのですから、やはり幸福は主観的な要素が大きいのです。
しかし、敢えて「ある程度、客観的に幸福度を測るとしたらどのような方法があるだろうか?」というのが今回の記事の狙いです。
この話題に興味がある人は続きをお読みください。
1 幸福とは主観的な好きなことをどれだけやったか?である。
結論から言います。
客観的に幸福をざっくりですが測るとしたら、タイトル通りですが、幸福とは「主観的な好きなことをどれだけやったか?の総量だ」と僕は言いたいです。
「快楽主義的な考え」ですが、僕は幸福をそのように捉えています。
具体例を出します。
「メンタリストDaiGoはかなり幸福な人だ」と思います。
あれだけ金持ちで、自由度が高く、嫌なことを避けられるのであれば、幸福に決まっています。
ですが、もっとDaiGoの幸福度を客観的に測るとしたら、メンタリストDaiGoが「好きなことをどれだけ総量でやってきたか?」なのです。
メンタリストDaiGoは猫と遊ぶことと、読書が好きだと言っていますから、それに人生の時間のほとんどを今は費やしています。
(逆に、人付き合いは最低限にしています)
金がかなりあっても、メンタリストDaiGoはこのような生き方を選んでいることから、メンタリストDaiGoにとって好きな、猫とたわむれることと読書に時間を大幅に割くことが幸せなのです。
逆に、「人と話すことが好きだ!」という人がいたとしたら、芸能界ほど面白い世界はないでしょう。
芸能界は面白い人や美男美女が多く、人付き合いの毎日ですから、楽しいはずです。
他にも、将棋がめちゃくちゃ好きな人がいたとしましょう。
1日8時間、将棋に費やしても「苦じゃなく楽しい」として、プロ並みに強くないのでプロにはなれなくても、ニートで将棋三昧の日々を送れたら、それは幸せです。
(将来の持続性や心配は別問題とします)
数学もプログラミングも同じで、めちゃくちゃ好きな行為で、1日8時間以上費やせるのであれば、それは幸せです。
(プログラミングは金になりやすいのが良い点です)
「美味しいモノ」を食べるのが好きな人がいて、ここでミシュランとか世間の評価などに惑わされず、本当に自分が美味しいと感じるモノばかり食べたら、それは幸せの総量が増えます。
AVを見るとして、芸能人モノなどの有名人に惑わされるよりも、自分の好きな女優ばかりを好んでみたら、それも幸せの総量を上げます。
音楽を聴くのがかなり好きな人がいたとして、1日8時間でも飽きなく、ニートで1日8時間音楽を聴けたら、それも幸せです。
(将来の持続性や心配は別問題とします)
結婚相手にも、スペックや条件で選ぶよりも、自分が本当に好きな相手と結婚できるのであれば、それは幸せでしょう。
(お互いに、好き同士でないといけない場合が多いので、ハードルがかなり高いですが)
ここで、食べ物と音楽と異性の好みほど、人それぞれで好みが違うモノはないです。
食べ物と音楽と異性の好みは自分の主観で好きなものを追求した方がよいです。
また、他人に対してもあまり自分の好みを押し付けるべきじゃありません。
ところで、僕の場合、「音楽を聴くことと、読書、創造的なこと(執筆)、美味しいモノを食べること、異性と絡むことが幸せなことだ」と悟りました。
このうち、前者3つは実現済みでして、後者2つ、「美味しいモノを食べること」と、「異性と絡むこと」があまりできていません。
そして、海やキャンプに行ったり、ディズニーランドなどに行ったり、といったアクティブなことはあまり好きじゃないことに気づきました。
ドライブは自分が運転するのは好きじゃないですし、海やキャンプに行って疲れて帰るよりも家で遊んでいた方が楽しい、インドア派なのです。
運動に関してもそこまで好きじゃないのですが、健康のため、体型維持のためにやっており、やり終わったあとは爽快感があるので、なんとかこなしています。
また、金があると、嫌なことをやらなくてよくなり、必然的に好きなことに打ち込める時間が増えるので、幸せ度が上がるのでしょう。
話を戻しますが、世間体や見栄や客観的なことで自分のやる行動を決めないほうが幸せなのです。
もちろん、金を得たり、自由を得るまでは、やりたくないこと、嫌なこともたくさんこなさなければなりません。
仕事は仕事と割り切っているのであれば、プライベートこそ、主観で選びに選んで、自分の好きなようにやりたいことを追求すべきです。
今までのことで、逆のことを言うと、不幸な人とは「嫌なこと、やりたくないことをやった総量」ということになります。
日本の通勤電車のサラリーマンの目が死んでいるのは、特別やりたくもなく、苦痛なことを最低8時間もやるからです。
ここで出てくる話が、得意なことと好きなことは違うです。
好きでも下手というふうに「下手の横好き」もいて、仕事レベルになっていない人もいます。
そういう場合は、本業にするのではなく、副業にするか、趣味にしましょう。
そして、得意なことを本業にすると生き残りやすくなり、自由が増えるので、お勧めな生き方になります。
得意でも嫌いなのであれば、それはそれで悩むところです。
僕の例でいうと、受験科目の世界史が一番、得意でしたが、大して好きじゃありませんでした。
単なる暗記ですからね。
しかし、今の世の中、生き残るだけでも精一杯な人が多いので、嫌いでも得意なことがある人は恵まれています。
得意なことがあれば、それを本業にして、金に変えて、自由をそのうちに手に入れるか、もしくは副業や趣味で好きなことをやりましょう。
「好きと得意と金になる(ニーズがある)」は以下の象限になります。
1 | 好き&得意&稼げる。 | 天職です。 |
2 | 好き&得意&あまり稼げない。 | 趣味か副業。 |
3 | 好き&不得意&稼げる。 | 趣味か副業。 |
4 | 好き&不得意&あまり稼げない。 | 趣味。 |
5 | 嫌い&得意&稼げる。 | 本業か、荒稼ぎして自由になるまでの過程。 |
6 | 嫌い&得意&稼げない。 | 関与しない。 |
7 | 嫌い&不得意&稼げる。 | 関与しない。 |
8 | 嫌い&不得意&稼げない。 | 関与しない。 |
この象限はざっくりしたものです。
さらに複雑にすると、好きか嫌いか極端じゃなく普通もありますし、得意か不得意かも普通がありますし、稼げるか稼げないかも普通があります。
ですが、複雑化しすぎると理解しづらくなるので簡略化しています。
人生において大半の時間を使う仕事選びの際は、この象限を目安として使うといいでしょう。
ところで、幸福とは「主観的な好きなことをどれだけやったか?」だと述べました。
で、別の視点から言うと、「欲深くなく、こだわりが少ない人は幸福になりやすい」と言えます。
美人好きやグルメや旅行好きな人は、手に入れる難易度が高く、金がかかります。
つまり、自分がかなり努力しないと得られないので幸福になりにくいのです。
逆に、競争が激しくない異性を好きやほどほどの食事で満足や無料のゲームなどの趣味で満足であれば、獲得しやすく、金もかからず、努力が大して必要ありません。
ということは、幸福になりやすい、つまり「欲深くなく、こだわりが少ない人」ということになります。
欲望をギラギラさせている人は、出世しやすいです。
ですが、その分、幸福へのハードルが高く、努力を必要とする人達です。
神さまが仮にいるとしたら、上手いこじつけ合わせを残したなぁと感じます。
低欲望の出世とは無縁な人も、幸福を感じられるようにしたのですから。
ちなみに、以下の記事では幸福の方程式が書かれています。
H(Happiness(幸せ))=S(Smiles 笑顔) − F(Frowns 不快感) です。
僕の方程式と似ています。
つまり、S(笑顔)を快感や好きなこととして、不快感をなるべく減らす、つまり、「それが幸せだ」と言うのですから。
以下の記事では、プラス面の快楽や好きなことも、マイナス面の不快感も大したことがないから、「人生の出来事は気楽に捉えよう!」と書かれています。
人生の「健康」「結婚」「出産」「昇進」などのライフイベントによって、「みんなの幸福度がどれだけ変わるのか?」チェックしたとのこと。
ちなみに、このチェックテストでは、人間の幸福を幸福度と満足度の2つに分けています。
幸福度は、日頃の生活でどれくらいポジティブな感情を抱けるか、です。
満足度は、自分の人生でどれくらいのことを達成できたのか、です。
幸福度と満足度はつねに同じ方向で幸福に影響を及ぼすわけではなく、その効果も大きさも異なるのです。
で、結果として以下の傾向がでました。
・良い出来事も悪い出来事も、幸福度の変化は一時的なもので、通常3〜4年後には消えてしまう。
・「配偶者の死」のような、非常に悪い出来事が起きた後でも、一般的に2~3年で幸福度は回復する。
・良い出来事はいくつも起きても、それが積み重なって幸福の総量が増えるわけではない。
・とはいえ、悪い出来事が幸福に及ぼす有害な影響は、良い出来事が及ぼすポジティブな影響を上回り、マイナスの影響はより長く続く。
・人生への影響が特に大きいバッドイベントには、大事な人の死、経済的損失、怪我、病気、別居などがある。
・子供を授かった場合、出産直後は、両親の満足度は高いが幸福度は低い。
・「新しい仕事につく」「昇進する」「解雇される」「家を引っ越す」などのイベントに対して、多くの人は、「これは私の人生に大きな影響を及ぼすはずだ!」と思いがちである。しかし、平均してみると、これらの出来事は幸福感にそれほど影響を与えず、その影響もわりと小さめで、一般には一瞬で終わる。
つまり、ポジティブな経験だけで幸福を追い求めてしまうと、人生は徒労に終わる可能性がある。
そう考えれば、人生には悪い出来事の方が影響が大きいため、ディフェンスに意識を向けたほうがいいかもしれない。
以上、かなり端折って抜粋させてもらいました。
(詳しく知りたい方は記事をちゃんと読んでください)
僕の今回の記事を真っ向から否定する内容ですね。
快楽や好きなことを追求するよりも、不快感を減らす方が大事だ!という主張ですから。
ところで、昨今、話題のキーワードであるNFT(Non-Fungible-Token)という概念があります。
これは敢えて簡単に意訳すると、世界に一つだけのデジタル資産になります。
デジタル資産で有名なのはビットコインやイーサリアムなどの暗号資産(仮想通貨)です。
そして、NFTも暗号資産もブロックチェーンという技術によって、確立されています。
ネットワーク空間のデジタル上に「確かに存在する」という意味で、「NFTも暗号資産も価値がある」と思われています。
NFTの場合、デジタル上で唯一無二に存在していると証明できるので、版権・コンテンツ・IP(知的財産)ビジネスと相性がいいです。
大物巨匠のサイン入り絵画がコピー可能なデジタル上で、唯一無二と存在証明できるのですから、希少性という価値が生まれます。
しかし、僕は「これはまやかしだ」と思っています。
本来ならデジタル上でコピーはいくらでも可能なのですが、ブロックチェーン技術によって1つしか存在しないと無理やり証明している、希少性ビジネスだと思うわけです。
昔から、投機・転売目的でこういうアートビジネスを手がける人はいましたし、NFTをそのような目的で利用するのなら、ありかもしれません。
ですが、本当に希少性に価値やブランドを感じているのだとしたら、頭が弱いと僕なら感じます。
コンプガチャで、そこまで価値がないゲームに課金する層と同じぐらいの頭の弱さです。
(コレクター欲求が刺激されるのでしょう)
というわけで、世間体や見栄やNFTのような実体のない希少性に価値を感じることは幸福を歪めるので要注意です。
このテーマについて、つまり幸福について深く考えることで、自分らしく、幸福に生きやすくなります。
なぜなら、世間体や見栄や客観的な要素など排除しやすくなり、自分の主観で生きる割合が増えて、幸福度が高まるからです。
皆さんの一度きりの人生にも、この思考を取り入れて、世間体や見栄や客観的要素に左右されずに、自分らしく生きてみてください。
ではこの辺で。(3448文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
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